先日ふと思った。
「オレ、今まで色んな車を渡ってきたな」と。
35年をフラッシュバックさせた挙句、数える事なんと15台!
実はそのほとんどがエンジントラブルを起こし、修理の見積もりがあまりにも高額過ぎるから応急的に中古車を買った方が早いし安いやん!といった理由からだった。
とは言え何も理由はそれだけではない。
今でも悔しくて堪らない理由もある。
平成16年。新車購入につきマイカーローンを組んだのだが、
それから半年が経った秋に台風により近くの河川が氾濫。
なんと2メートル弱の床上浸水となった。
当然ながら車やバイクは勿論のこと、一階の家電製品、家具、壁、畳、ギターアンプ、、、すべてがパーになった。
家族らを迫り来る水から二階に避難させた。
命があった事が何より。今も本当に心からそう思う。
以降の数年間は廃車となった新車のローンを払い続けた。
車両保険を掛けてなかったので(まさかそんな被災をするとは思ってもみなかった)それはそれは屈辱だし、もはや地獄そのものだった。
その地獄から帰還して、次にどうしても欲しくて買った車。
それが
「ワーゲンビートル type1 1964式」
なのである。
高校生の頃、「いつかビートルかBMWかベンツに乗ろう」と夢を見たものだ。
とにかく
ドイツ車に乗ることが男にとってロマンであり、そしてマロンなのだ!
と胸に刻んでいた。
徳島市藍住町の車屋で一目惚れをして即購入の決断をした。
初めての外車で勝手もわからないのに、車屋に不明点を聞きもせず、知ったかぶって後日納車をした。
それからというもの、廃車にするまでの約10年間に想像を絶することがこの車には山ほどあった。
例えば、、、
⓵エアコンやシートベルトがない、シートの位置調整が出来ない。
1964年製造だから仕方がない。
②キーがなくても大丈夫!
先の尖ったもの(例えばバイクのキーとかスプーン)があればエンジンが掛かる。晩年はキーを紛失してしまいマイナスドライバーでエンジンを掛けるようになった。
勿論、ドアも同じで鍵を掛ける事すら面倒となってしまった。
そのせいでドアをロックしない習慣が未だにある。
③時速50k以上出したことがない。
高速なんて以ての外。
急な上り坂は間違いなく低速になり、世間のご迷惑になると判断し、時間が掛かろうとも迂回をした。
④シフトレバーに表記がない。
4速のミッション。ちなみにバックギアに入れるのは足でクラッチを踏みながら左手でシフトノブを斜め前に押し込むといった特殊なコツを取得しなければいけないのだ。
⑤方向指示器が折れたけど、大丈夫!
オカマを掘られた時に棒状の方向指示器が折れてしまった。
よく見るとその付け根に穴があったので割り箸を突っ込んでみると問題なく動作した。
そのうちに割り箸から木の菜箸へ。
木の菜箸から鉄の菜箸、鉄の菜箸からマイナスドライバーへ。
つまり晩年はマイナスドライバーでエンジンをかけてから方向指示器に突っ込むのがルーティンだったのだ。
⑥窓の開閉はグルグル回すやつ。
これも先っちょが折れていたのでほぼ窓の開閉はしなかった、というか出来なかった。三角窓の隙間だけが外の現実世界と繋がっていた。
⑦雨の日、雨漏り。
気にしない。
⑧エンジンがトラクター以上の爆音。
気になってた。
⑨車内をスワロフスキーでデコってた。
乙女なオッサンだった。
⑩車の顔とオレの顔が激似とよく言われた。
オレ、十代の頃はガチャピンに似てるとよく言われていた。
そう言えばガチャピンとビートルも激似だな。
なんか繋がった感じ!
とまぁ、、
なぜ手放したのか?実は当時の記憶をよく思い出せない。
毎日爆音エンジンの振動と共にドキドキしながら乗ってたはずなんだが。
経済的な理由だったのか?エンジン不調だったのか?
何はともあれ、ビートルの車内とは「ガソリンと1964年の匂い」がギュ~っと詰まったおもちゃ箱だったのです。
オレにとっても子供たちにとってもロマンでもありマロンでした。
元旦から商店街で土産物店の店番をしてた。
夕方に差し掛かる頃、「客が来んの〜〜〜・・」と涙ぐみながらふとスマホを見ると、「北陸地方で地震」とのニュースが。
ここ高松でも僅かに揺れたらしいが、自分が鈍いのか、気づかなかったし、最初はそんな大変な災害だとは思いもしなかった。
店仕舞いして義兄の家でTV を見た。どの局も能登半島の地震・津波災害の報道だ。(テレ東だけバラエティーやってたが)
そこにはおよそ元旦の正月ムードとはかけ離れた阿鼻叫喚の映像がくり返し映し出されていた。この国に住む人なら多くが忌まわしいあの13年前の震災の記憶を呼び起こしただろう。
「しょ、正月、しかも元日から家や家族を失っている人たちがおる。。。なんちゅう事や!!!」
本当に年は明けたのだろうか!??
年が明けたら誰にでも希望に満ちた楽しく明るいハッピーニューイヤーが迎えてくれるんじゃなかったんか!?
ニュースの報道はそんな自分の中の正月幻想を粉砕し、嫌が応にも凄惨な現実を突きつけて来た。
この度は令和6年能登半島地震の被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。SomeRiseのメンバー共々、一刻も早い復旧・復興をお祈りします。
そう、これは他人事ではないのである。
ここ四国も南海トラフを震源とするマグニチュード9クラスの地震やビルの3階にまで達する津波がいつ襲って来てもおかしくない状態なのだ。
我々は日々を仕事に、家庭に、音楽活動に、趣味にと、あまり意識なく過ごしているが、「残された時間」はもうあまり無いのかもしれないのである。陰謀論的には、申し合わせたように急ピッチで進められる大勢の大富豪・資産家たちの地下シェルター建設。「何か」が起こる事はもう秒読みなのだろう。。。
非常時に備える事はもちろん、いつこの世の中が激変し、生きて行くのさえ困難になったとしても後悔しないように、大富豪じゃない我々も今やっておくべき事をやらなければならないのである。
目には見えないけれども確実に存在する「自分たちの音楽」というイメージの塊をこの世界にしっかりと刻んでおくのである。物質世界が消失しても誰かの記憶に刻まれる霊的な命の音を。
悲痛な激震とともに始まったこれからの時代が少しでも明るいものになりますように。
了